リゲッタについて

僕はボローニャで寮に住んでいるのですが、同じ寮のトルコ人の友人が僕の履いているサンダルをほめてくれました。僕のサンダルは日本のリゲッタのもので、日本でしばらく使っていて気に入っていたので、イタリアに持ってきたものでした。

彼にサンダルの名前を聞かれ、「リゲッタ」と伝えました。彼はその場でスマホでリゲッタについて検索し、リゲッタのホームページにたどり着きました。

ところがリゲッタのホームページは完全に日本語のみであり、日本語を解さない彼にとって厳しいものでした。また画像に組み込まれている文字情報も多く、翻訳サイトを介して観覧することも難しそうにみえました。

ホームページによれば、リゲッタは日本の下駄の歩きやすい構造と西洋のデザイン性を融合させた大阪のブランドだそうです。このような外国人の興味を引きつけるブランドの背景がありながら、日本語のみでしか発信されておらず(さらにいえば海外への発送もできなさそうです)、海外の需要を取り込めていないのは、なんだかもったいないなあ、と思ってしまいました。

Brexitとホンダのイギリス工場閉鎖について

お久しぶりです。ずっと更新していませんでした。

 

今日は、ホンダのイギリスの工場の閉鎖について感じたことを書いていこうと思います。

私が今住んでいるイタリアでは日本車のプレゼンスが高くありません。(感覚的には2割くらいが日本車なので低いとまではいえませんが)そのうちの半分程度はトヨタ車で、そこに日産が続き、残りがホンダやスズキ、マツダといった印象です(あくまで主観であり客観的なデータではありません)。この留学中、イタリアのほかにベルギー・ドイツ・スイス・オーストリア・イギリス・アイスランドポルトガルに旅行しましたが、国により多少の差はあれど、やはり日本車の数はあまり多くはなかったように(そしてホンダ車は日本車の中でも少ないように)思います。

ですので、ホンダのスウィンドン工場がイギリス国内の自動車工場としては4番目の規模であるという記事を見たときは、少し驚きました。EU市場におけるホンダ車のシェアはおそらく数パーセントでしょうから、現地生産せずに日本や北米などの工場から輸出で賄った方が効率がいいように思え、ヨーロッパにホンダの工場があること自体が少々不思議に感じたのでした。今回の英国工場の閉鎖は、ホンダがほとんどシェアを持てずヨーロッパ市場で苦戦していたところに、日欧EPAが発効して、日本から関税なしでEUへホンダ車を輸出できるようになったので、とうとうヨーロッパに工場を維持する理由がなくなったのでしょう。イギリスのEU離脱やホンダが言及したようなクルマの電動化戦略は、工場閉鎖の決断の判断材料の一つであることはおそらく間違いではないでしょうが、最も根本的な工場閉鎖の理由は、ヨーロッパで工場を持つのが必要なほどホンダ車が売れていないということではないでしょうか。

 

 

余談ですが、honda UKの工場閉鎖に関するツイートへのリプライを読んでいたら、"JAP"という単語が使われているのを見つけ、複雑な気持ちになりました…。

ボローニャで政治を学ぶ I

ボローニャ大学には school of political scienceという、政治学部に相当する学部があります。そこでは、政治学に関するたくさんの授業が開講されています。

しかし、リミニ・ラベンナ・フォッリなどボローニャ以外で開講されている授業も多く、そこからボローニャで英語で開講されている授業ということになると、かなり絞られてきます。さらに、そのほとんどは大学院のレベルの授業で、内容はかなり専門的なものです。大学院の授業であっても担当の教授にメールなどで受講したい旨を連絡すれば、学部生の交換留学生であっても授業を受けることはほとんどの場合認めてもらえると思います。

僕も当初は教授にメールして大学院の授業を一つ受講し、履修登録もしました。しかしスライドをほとんど使わない授業でかつ英語のレベルが想像以上に高く、日本でほとんど勉強したことのない分野の授業であったこともあって、履修を途中で断念しました。この授業は学生のほとんどが留学生で、教授の英語のスピードや使われる単語のレベルも高く、英語をかなり高い次元で理解することが学生側に要求されるものでした。

一方、英語で開講されている学部レベルの授業は英語がそれほど得意ではない学生の受講も想定してか、比較的平易な英語が使われ、かつ適宜イタリア語での補足説明がなされ(もちろんイタリア語がほとんどわからない僕にとっては補足になりませんが、英語のみでは理解しきれない学生がいることも想定されているということです)ていました。

したがって英語力にそれほど自信がない場合、制度上可能であっても大学院の授業を履修にはかなり覚悟が必要になります。(もちろん授業によって要求される英語のレベルはかなり変わってくると思います。これはあくまで僕が履修した授業に関しての話です。ただし、大学院の授業に高い英語力が要求されるということは、基本的に間違いではないと思います。)

そして既に書いたように、英語でボローニャで開講され、かつ学部レベルの政治学部の授業はかなり限定され(誇張ではなく本当に少ないです。10個あるかどうかという感じです。)、また学部レベルの授業が非常に少ない割に、数少ない英語による学部の授業も東ヨーロッパ政治史といった(多くの日本人にはなじみの薄い)少し変わった内容であったりします。そのため、法学・経済学などの隣接分野の授業も併せて履修する、フォッリキャンパスまで通学する、などといったことが必要になると思います。法学・経済学は(特に経済学)、多くの授業が学部レベルでも英語で開講されている印象です。

僕も、11月から始まる移民に関する授業を、フォッリまで受けに行く予定です。ボローニャ中央駅からフォッリまではトレニタリアのRegionaleで50分ほどで、片道6€です。ただし定期券を購入すれば1ヶ月69.5€で通えるため、経済面でも現実的に通学できます。フォッリ駅からキャンパスまでも多少距離があります。

このように、英語を使用してボローニャ大学政治学を学ぼうとする学部生の留学生にとって、ボローニャはちょっと厳しい街かもしれません。

しかし、同時に政治学を学ぶのにふさわしいと思う点もいくつかあります。あまりブログが更新できていないため、いつになってしまうかわかりませんが、いずれそのことについても書こうと思っています。

トレニタリアに107€(約14000円)の罰金を取られた話

先週、同じ寮の人たちと、ボローニャから電車で一時間ほどのところにあるラベンナへ行きました。

僕はトレニタリアの切符には学割があると勘違いしていて、不当に安いチケットを間違えて買い、そのチケットで電車に乗ってしまいました。

車内改札が回って来て車掌さんに切符を見せると、何か特定の書類を出すように要求されました。僕は学生証が要求されているのだと思いボローニャ大学の学生証を提示しましたが、それは違うという対応されました。

その割引は、実際のところ鉄道会社の関係者向けのものであったらしく、罰金の支払いを求められました。

意図していたものではなかったものの結果として不正な乗車になってしまったため、罰金を支払おうとしたのですが、提示された額は僕の想像を大きく上回るものでした。

 

その額、107,35ユーロ!

日本円に換算しておおよそ14000円です。

ちなみにボローニャ・ラベンナ間の正規運賃は7,35ユーロです。即ち、正規運賃のおよそ15倍もの額が罰金として科されたということです。

 

僕はその時、60ユーロ程度の現金しか持ち合わせておらず、クレジットカードで支払いました。高額な罰金を想定してか、車内改札を行う車掌さんはクレジットカードの決済の機械を携帯していました。

 

もちろん、この罰金は僕が間違って買ってしまったチケットで、本来乗る権利のない金額で乗車してしまったので一義的には僕自身の責任であることには間違いないです。

僕は少なくとも不正乗車をする意図を持っていたわけではありませんが、結果として不正な乗車になってしまった以上、そこにある程度の額の罰金が科されることは理解できます。

しかし、本来の運賃の15倍もの額の罰金は、正直なところ妥当な金額であるとは思えません。イタリアのこの鉄道のシステムは外国人(特にEU外からの外国人)が理解しにくい部分があり、不正乗車を誘因して罰金を科すこのビジネスモデルは、無知な外国人観光客をだしにして罰金を巻き上げているように見えます。

好き好んでイタリアに住まわせていただいている身でこういうことを書くのは、あるいは失礼なことかもしれないけれど、それでもイタリアのこういう部分はあまり好きになれない(もちろんイタリアには素晴らしい面もたくさんあります)し、イタリアという国のイメージにだってかかわってくることだと思います。

外国人がイタリアに旅行に来て、高額な罰金を科せられイタリアを嫌いになって帰る、そういうことが起きれば、それはイタリアにとっても不幸なことであると思うのです。

「あの」戦争

同じ寮に住んでいるフランス人の留学生との会話の中で、彼から「the war」という単語が出てきた。

彼がそこで指していた「あの」戦争とは、第二次世界大戦のことだった。

日本人が「あの」戦争というとほとんどの文脈で第二次世界大戦を指すけれど、それがフランス人にとっても同じであることに少し驚いた。

日本にとってあの第二次世界大戦は最後の戦争であったし、ドイツと違って国家としての連続性こそ保ったものの、あの戦争前後での変化はあまりにも大きなものだったはずだ。憲法だって変わったのだ。

一方のフランスは、第二次世界大戦以降もインドシナ戦争などの戦争を経験している。

 

ヨーロッパが戦場になった第二次世界大戦は、フランスにとっても忘れ難い記憶になっているのだと思った。

「ヨーロッパに再び戦火が交わることのないように」という理念を端に発したヨーロッパ統合は多くの問題を抱えてはいるが、それでもヨーロッパ統合の当事国では、第二次世界大戦後いまだ、戦争は起きていない。

IKEAに2回行った話

一昨日、ボローニャに留学している何人かの日本人留学生とボローニャ郊外にあるIKEAに行く機会があって、僕はそこで小さな椅子を買いました。

 

ところが組み立て方を間違えてしまい、さらに間違えた部分のねじの穴を潰してしまったために、組み立てなおすことすらできなくなってしまいました。

 

「ああ、IKEAのくそ野郎、くそ野郎」と思いましたが、よくよく考えたらくそ野郎なのは僕であって、IKEAは何も悪くないのでした。しかも組立説明書は言語が読めないことを想定して?、全て絵で説明されていました。

 

そういうわけで、友達から借りたドライバーも木曜日には返す約束になっているし、もうやけくそで今日もう一度IKEAに行って同じ椅子を買ってきました。

一昨日ゆっくり回ったばかりだったので、もう見るものなど何もなくほとんど足を止めずにひたすら入り口からレジまで歩きました。足を止めずにひたすらショールームを歩いてかかった時間は、9分5秒でした。

 

そしてやっと椅子が完成しました。この椅子は一つ26ユーロだけれども、僕にとっては52ユーロの高級な椅子なのです。


f:id:lwpjt83gokubo:20181009030816j:plain

 

ちなみに土台の部分の木は余ったので、欲しい人がいればあげます。

ボローニャから見た中国

イタリアに縁もゆかりもなく、地域研究・中国のゼミ生だった僕がイタリアに留学しているのは、考えてみるとちょっと不思議だ。

だからここボローニャで、あなたはどうしてイタリアに来たの?と聞かれると、答えに詰まってしまう。

たぶんこれが、アメリカやイギリスならば、中国や東アジア地域に興味がある学生が留学していても、あまり不思議はないのだろうけど、イタリアになると話は別だ。なぜイタリアに…?

 

結局これに強い説得力をもって答えられる答えはまだ見つかっていないのだけれど、それでも中国に関連してある程度答えることはできる。僕は日本の大学に提出した留学の願書に、こう書いた。

一帯一路やAIIBといった、中国が主導している国際プロジェクトに対して、イタリアを含むヨーロッパ諸国は、日本やアメリカよりも楽観的に捉えているように見受けられ、ヨーロッパの視点から見る東アジアについて関心がある。地政学的に日本ほど中国の直接の脅威を受けないイタリアで東アジアを学ぶことは、東アジアに関して多角的な視野を身に着ける良い機会であると思う。

 

よくもまあこんな適当なことを願書に書いて受かったよな、と思うけれど…。

 

死刑制度の廃止がEU加盟の条件である事からも見て取れるように、人権や民主主義といった価値観を大切にするヨーロッパ諸国が、そのような価値観を共有しているとは言い難い中国と接近しようとしていることを、安全保障上の脅威の有無だけで説明できるのか。

イタリアの人々は、またヨーロッパの人々は中国や日本をどのように見ているのか。

 

このボローニャ留学ではそういったことを学んでいきたいと思う。